ミニマリストVSアンチミニマリスト

ここ数ヶ月ほど毎日同じ服ばかり着ている。白いTシャツだ。特に夏と白いシャツの相性はよく毎日気持ちよく過ごせている。

なぜ同じ服なのか。
同じ服を着ていると言うと皆怪訝な顔をする。(もちろん複数枚持っていて洗濯をしているというのは大前提で)

だが僕から言わせると
なぜ違う服でないとだめなのか。
数ヶ月前にふと思いたってそれからはマイナーチェンジはあるものの基本的に白のTシャツにジーンズだ。
服選びが嫌いという訳ではなかった。むしろ好きだった。故に飽きてしまった。
ピークが学生時代でそれからはテンションが下降線を描きシンプルな服装になった。普通の人ならそこで大体留まるのであろうが、僕の場合はさらに下降を続け現在に至る。

ネットで検索すると毎日同じ服を着ることを肯定的に捉えている人が案外いると知って、前にも増し白いシャツを気持ちよく着られるようになった。

で、毎日同じ服を着ることを含め生活一般において必要最低限のものしか持たない人達のことをミニマリストと呼ぶらしい。メンタリストではなくミニマリスト

ネット検索している中でそのミニマリストの代表者のような人のブログとミニマリストに嫌悪感を抱く人のブログが並んでいた。比較してみると中々面白かったので勝手ながら我がブログにおいて第一回ミニマリストVSアンチミニマリストを開催したいと思う。

選手入場

ミニマリスト

アンチミニマリスト

はっけいよい、残った


まずはミニマリスト代表のブログから見ていこう。
パッと見て感じるのは「無印感」だ。
こざっぱりとしてオシャレ、おそらく本人もかなり意識しているのだろう。
白が基調の整然としたデザインに無駄のない文章でミニマリストは何かというのをわかりやすく伝えている。

<元々ファッションが好きでコーディネートも色々していたけど結局お気に入りの服しかきていないのではないか>という気づきは確かにそうだと思わせられる。

そして<私服の制服化により毎日が快適に過ごせる>といのもすごくよくわかる。

概ね理解できるのだが唯一、<量よりも質で一着に多くのお金をかけられる>というのが
賛同しかねる。
僕は服は消耗品だと思っているので、いかに安く仕入れてワンシーズン着回せるかのかが大事で、何年も同じものを着ようとは思わない。まあこれはミニマリスト云々というよりかは服に対する価値観の違いなのでどうでもいいとえばどうでもいいが。

とまあ自称ミニマリスト代表(本当にプロフィールにそう書いてあった)だけあって、完成度の高い記事であった。ただ僕はこの記事を読み進めていくうちに、なるほどと思うのと同時に何か形容し得ない思いが生じていくのを確かに感じた。これは後述する。


さて続いてアンチミニマリスト代表のブログだ。
先ほどのミニマリストのブログと絵に描いたように対照的だから面白い。

第一声が
<あー、どうもみなさんこんばんちわっす。>
嫌な予感がした。

やたらと改行をする。やたらと文字を大きくする。いずれも面白くないブログに共通する点である。僕が推測するに自分の書いていることに自信がないのだと思う。それを見透かされないようにと大量の改行や文字の大きさでカバーしようとするのではないかと。
まあそれが当たってるかはともかく内容が面白ければよい。しかし僕の嫌な予感は見事に的中してしてしまった。

まずどうでもいい日焼けの話から始まり、ミニマリストの定義の話に移る。
<ミニマリストって結局キレイ好きってことなんじゃね?>といういかにも鬼の首を取ったような様が鼻につきつつ読み進めいくと
本題の服の数を減らす話に移る。

どうも彼はミニマリストの主張する「服の数を減らすことで決断疲れを減らす」ことに対して強い違和感を抱いているようだ。

気持ちはわからなくない。
僕も同じ服を着ていて決断疲れを減らせているという実感は全くなかった。ただ今はミニマリストのブログをはじめとした様々なwebサイトを閲覧し自分の生活を振り返った結果、以前より自分が自分らしくなったと感じる。同じ服を毎日着ることにより、毎日のコーディネートを考える必要がなくなるというのはわかりやすいメリットではあるが、それだけでなく服の購入においてもあれこれ悩む必要がないし(僕の場合はそもそも同じ服をまとめ買いするので服の購入機会自体があまりないが)他の人が着ている服と比べて妙な劣等感を感じることもなくなる。
服全般において煩わしいことがなくなるというのが、実際に同じ服を着て感じる大きなメリットだ。
ただそれが決断疲れに貢献するという大袈裟な言い方になってしまっていること、加えてスティーブ・ジョブズも毎日同じ服を着ていたという主張も相まって「けっ、なにがミニマリストだこの野郎」と思ってしまうのは確かにわかる。
わかるが、このアンチミニマリストの彼の相変わらずの鬼の首を取ったような騒ぎっぷりにイラっとくるのはおそらく僕だけではないだろう。

極め付けは
<その思考、メッチャダサくないっすか?>
<ただ、メンドクセーってだけだろっ>
<こいつマジダイジョーブかよっ>

僕は頭の悪い人間そのものに罪はないと思うが、自分の頭の悪さを自覚せず浅はかな考えを他者に押し付けようとする人間は大罪であると思う。
よくもまあこれだけブログという公衆の面前で醜態を晒せたものである。本人としては「みんなが思っているけど、言っちゃダメなことを見事に言ってやったぜ」と思っているのだろうが、考えも言動もあまりにも稚拙で、ただの痛い人になってしまっているのは知る由も無いだろう。
呆気にとられたのが、散々言った最後に
<ま、ここまで書いといてアレですが、別に僕ミニマリスト自体を否定してるわけじゃないです。全然。>
という日和っぷり。
「その言動、メッチャダサくないっすか?」この言葉を彼に贈りたい。

現時点でミニマリストVSアンチミニマリストの対決は圧倒的にミニマリスト優勢である。
が、前述したように僕はそれでもミニマリストの彼のブログから感じる形容しがたいものを拭うことができない。そしてそれはおそらくアンチミニマリストの彼がミニマリストから感じることとも共通するものでもあるだろう。

もう一度ミニマリストのブログを見返した。
なんか気持ち悪い。
申し訳ないが本当にそう思う。
おそらくというか間違いなくその大きな原因となっているのはミニマリストである自分を写したナルシスティックな写真の数々である。たぶん彼としては自分をミニマリストタレントとして売り出していこうとしているのだろう、それでこういった写真を載せているというのはわかる。
わかるのだが、顔がギリギリ不細工で「お前、なにしてんの」感が否めず、どうしても鼻についてしまう。
また、僕は男の自撮りが本当に気持ち悪く、あまつさえ自分のブログに貼ってしまう行為に対してどうかしてるんじゃないかとも思う。(最後のシャボン玉を吹く写真には辟易させられた。)
よかったと思えた文章もなんだか変に自己肯定した、品はあるが程度はアンチミニマリストと変わらない代物にも見えてくる。

ミニマリストが必ずしもナルシストに繋がるわけではないのだろうが、どうしてもその性質上ともすると貧乏くさいイメージをもたれてしまう危険性がありそれを払拭せんとするあまり、今回の彼のような過剰なセルフプロデュースに繋がり滑稽に映ってしまうという新たな危険性は間違いなくはらんでいると思う。

 

というわけで
第一回ミニマリストVSアンチミニマリスト
結果は残念ながらどちらも負けとする。